30代の大腿骨頸部骨折記録⑤〜決断〜
呆然としながらも4月21日にJ病院に入院しました。僕は会計監査の仕事をしており、当時は超繁忙期で、現場責任者も2社担当していました。
ですので病院でも仕事をしながら、手術を待っているような状態でした。人工股関節置換術(THA)にすると決めたものの、手術が怖くて仕方ありませんでした。麻酔から覚めたら自分の骨が切り取られ人工物に置き換わる事が無条件に怖かったのです。その事を考えると怖くて眠れませんでしたが、自分はTHAを受けて楽になるんだと言い聞かせました。
(この写真は拾い物なんですが、よく見たら右股関節も壊死が始まっているのでおそらく特発性大腿骨骨頭壊死症であり、いつかは右にもTHAを行う事になるでしょうね、、)
病院で、仕事をしていると、僕を執刀する予定のO医師が現れました。O医師はラグビーをやっていたかのようなガタイのいい身体でまさに熱血漢という印象でした。挨拶もそこそこに、O医師は、「Mさん、手術方法を決めてください。THAをやるなら、部品の殺菌処理を始めないといけないんです。看護師からはTHAで決めたと伺いましたが…」
M「はい、THAでお願いしたいと思ってるんです。O医師ならばどうなさいますか?」
O医師は待ってましたとばかりに強く言い切りました。
「私が貴方なら絶対にTHAは選択しません。絶対に骨接合術を選択します」
は?僕は混乱しました。同じ病院なのに、S医師とまるで見解が違う!しかもありえないぐらいに強く言い切っています。
THAと決めていたので、相当に混乱しました。
O医師は続けました
「例えば、骨接合術を行う事で、行わなかった時と比べて、再度THAを行う場合に不利になるなら、迷うのはすごくわかります。でも、骨接合がダメだった時に、THAをやったとしても全く同じ条件で出来るんです。骨接合の成功可能性は50%はあると思います。だったら、挑戦しない手はないんじゃないですか?
貴方はまだ若い。THAの入れ替え手術はものすごく大変でこの前5時間以上かかったんです。確かに最近のインプラントは性能が向上していますが、貴方はまだ若く活動性が高いので、従来通り、20年ぐらいで入れ替えないといけない可能性はありますよ」
勘弁してくれ…なんで同じ病院でこんなに医師の見解が違うんだ。。
M「でも、S医師は人工股関節がベストと仰っていましたよ?なんで見解がそんなに違うんですか?」
O医師「S医師は、うちの病院の股関節のリーダーです。彼は責任者として、失敗する可能性のある手術を患者にリコメンドしたりはしない。THAは予後もとても良いので、安定した結果を出せる。ただ貴方は余りにも若すぎる。僕は、はっきり言えば貴方にTHAをしたくない。そりゃTHAにすれば僕も楽ですよ?骨接合にすれば何年間も貴方に寄り添って、チャレンジをする事になる。でも貴方の長い人生を考えた時に、短期的には苦しくても、うまくいかないかもしれないけど、骨接合にチャレンジする価値はあると確信しています。」
心に刺さるプレゼンでした。この人は自分の利益ではなく、本当に自分の事を考えて、話をしてくれていると思いました。
S医師は彼の上司であり、上司判断であるTHAを覆して、骨接合を患者を説得することは彼のキャリアにとってもリスクになるはずです。もし失敗したら、ほら見た事かとなるわけですから。彼には勝算があったのかもしれません。
M「半年間、もしくは1年間の松葉杖にはまだ耐えられるかもしれません。でも2年間、骨頭壊死の恐怖に怯えながら生活することはできないかもしれない。THAにすれば、すべて終わりにできるんです。」
O医師は呆れた顔をして言いました
「そりゃ、不安になるのが嫌だと言われたら、こっちもどうしようもないですよ!でも、THAだって、一生取り換えのリスクと脱臼のリスクに怯えなきゃいけない。それはいいんですか?もし50%の確率に勝てば、元どおりに出来るんですよ。インプラントを入れた後に、自骨に戻す事はもうできませんからね。」
M「わかりました。。でもTHAで決めてたのでもう少しだけ考えさせたください、、」
O医師「わかりました。でも今日の夕方までに決めてください。また来ますね」
僕の腹は決まっていました。O医師に賭けてみたいと思いました。
妻と母親に電話をし、骨接合で行くことの了解を得ました。母は、「私が会計士試験に反対した時も、貴方は反対を押し切って結局会計士になった。今回も私の反対を押し切ってうまくいくんだと思ってる」
結局、僕は骨接合術に挑戦することになりました。
30代の大腿骨頸部骨折記録④〜葛藤〜
人工股関節か、骨接合か ?
決め切れなかったので、色んな人に相談しました。
手術直前の写真です。左足が完全に折れて曲がっとる、、
僕は自分の骨を切り取ってインプラントに取り替えることに強い抵抗がありました。恐怖感と言って良いと思います。
まずは最初のO病院に行き、相談しました。先生は、「S医師は日本でも有数の股関節のエキスパートなので、彼が人工股関節というならそれが正しいのだと思う。私はもう臨床から離れて10年は経っている」
また免荷については、
「もっと体重を絶対にかけてはいけないと慎重になるべきだったのかもしれない。しかし、MRIでしかわからないような小さなヒビが完全骨折に至って転位するとはまさか思わなかった」
正直に認められてしまうと、何にも言うことができません。なぜ医者任せにして自分でもっと調べなかったのか、なぜもっとほかの医者に意見を聞かなかったのか、この後悔はその後に渡り長く僕を苦しめました。
妻は、貴方が決めることだとは言いますが、1年間頑張って、ダメだった時に貴方が折れないかどうか怖いと言っていました。元々僕はメンタルが弱く、鬱病になりかけたところを朝のランニングで脱出した経緯がありました。だから雨が降ろうが足が痛かろうが必ず走っていました。やめたら鬱病になってしまうと思ったからです。それで骨まで折ってしまったのです。
母親は文句なしに人工股関節派でした。
「そんなうまくいくかどうかわからん手術なんて受ける意味わからへん!私の友達は人工股関節入れてるけど、元気にテニスしてるで!骨つないで1年間苦労して苦労して、あかんかった時にアンタ持つんか?その間仕事どうすんの?もうアンタひとりの人生ちゃうねんで。アンタはもう◯◯ちゃん(嫁)と子供二人の生活を背負ってるんや。人工股関節の何があかんの?もはや何を迷ってるからわからへん。もうアンタ決められへんのやったらお母さん決めたるから、人工股関節にしとき!お父さんも人工股関節がええと言うてるよ!」
母は自分にも厳しい人ですが、他人にもとても厳しい人でしたし、不確定な未来に不安になる事を極端に嫌う人でした。僕が会計士試験を受けた時も大反対していました。
学生時代からの友人のTさん(仮名)にも相談しました。彼はメリットデメリットを冷静に整理した上で、人工股関節がいいのではないかと踏み込んで意見をくれました。少ない確率の賭けに勝っても脚長差が出てしまう事が気になるということと、インプラントへの恐怖で合理的な意思決定ができなくなっている可能性を考慮した方がいいということでした。この時のことはとても感謝しています。
確かに20年後の取り替え手術も脱臼も怖いですが、30%の可能性に賭けるわけにもいかない、、当時は仕事が超繁忙期だったので、最低限のタスクをこなしながらも死ぬほど悩みましたが、早く楽になりたいという思いから人工股関節に傾いていきました。
N病院の手術の予約はキャンセルしないといけませんが、電話でのキャンセルではなく、直接お会いしてお断りしたいと思い、元々の診察予定をキャンセルせずお会いしました。
J病院で人工股関節の手術をうけようと思うという話をしましたが、話が終わりきらないところで、先生が、
「もったいないよ!」
と一喝しました。
医師「1年間のリハビリが辛い?何言ってんの?5歳ぐらいの子供で、1年間の松葉杖に耐えた子だっでいるんだよ?大人がそんな事言ってたどうするんだ。余りにも弱い、弱すぎるよ。通勤が不安?5時に起きればいいんだよ!
怪我や病気に負けるんじゃなくて、勝ってやると思わなきゃ治るものも治らないよ!そんなに若いのにインプラントなんてもったいなすぎるよ。」
M「でも、骨頭壊死が起きる可能性って骨折時から2年間あるんですよね。。つまり2年間は骨頭壊死の恐怖に怯えてビクビクしないといけない。僕はそれに耐える自信がありません」
医師「情けない事を言ってんじゃないよ!30%もチャンスがあるなんて恵まれてると思わないのか!別に死ぬわけじゃないんだぜ?歩けなくなるわけでもない。最悪はたかがしれてるのに、そんな弱気になってどうすんだよ!」
確かに今思えばそうなのですが、その時は逃げたい気持ちでいっぱいでした。先生の言っている事も論理的ではなく根性論のように聞こえ、一旦は心が揺さぶられたものの、正直、最後にはうるせえなという気持ちになってしまいました。
結局、心は人工股関節に傾いていき、J病院の入院の日となりました。
30代の大腿骨頸部骨折記録③〜J病院〜
J病院のS先生はとても有能そうですが、とにかく横柄でズケズケモノを言うオッサンでした。レントゲンを見るなり、「僕は頸部骨折は色んな事例を見てきているけど、これはもう無理ですね」とあっさり仰いました。僕は自分の身体の一部がこの若さで人工物に置き換わる事にどうしても抵抗感があり、人工股関節は避けたかったので、このコメントはショックでした。
しかし、この人は恐ろしく有能オーラが漂っており、言うことに説得力がありました。
S医師「このレントゲンを見てください。この左側が折れて完全にズレてるでしょう。残念ながらここにちょうど回旋大動脈が通っているから、ズレた時にこの大動脈が傷ついた可能性が高い。まずつかないし、ついても壊死する可能性が高い」
S医師「てかさ、なんでそもそも免荷(体重をかけないこと)しなかったの?折れた骨に体重かけたら、ズレるに決まってんじゃん!」
M「いや、そんな指示はうけてないんです、、松葉杖渡されてこれで安静にしてくださいと言われただけで」
S医師「んなわけないでしょ!常識だよ」
M「本当に受けてないんです…」
S医師「とにかくさ、貴方がどうしても骨接合をやりたいと言うならやってもいい。でも僕は「負け戦」はしたくないんだよね。。僕は貴方が、どんな仕事をしているかは知らない。でも、これを骨接合で直すなら最低半年は松葉杖、ひょっとしたら1年間松葉杖もありえる。1年間リハビリをしながら仕事に集中できない状態を継続するロスも考えた方がいい。
人工股関節なら手術の翌日には全荷重でき、2週間後には歩行も可能だと思う。もうTHA(人工股関節置換術)でやっちゃった方がいいでしょう、ちゃちゃっと。」
S医師「これこのまま骨接合で無理やり繋いでも脚長差が出るよ。えっ1.6センチぐらいでしょって?1.6センチも脚長差が出てまともに歩けると思ってるのかよ!人工股関節は今は20年ぐらいと言われてるけど、最新のインプラントなら30年から40年、まだ実証データはないけど、一生持つ可能性だってあると思ってるよ、僕はね。いずれにせよ、急いで手術した方がいいよ。でもN病院で手術するんでしょ?」
M「いや、義父もこの病院で手術した事もあり、できればこの病院でお世話になりたいと思ってますが、混んでますよね、、あまり遅くなるようならN病院でと。。」
S医師の目が鋭く光りました。
S医師「何?ちょっと待って。貴方はうちで切る気があるの?そうなんだ。すぐ手配するからちょっと待ってよ。Nより早く切れるならいいんだよね?」
S医師は各所に電話をかけまくり、5日後の手術をあっという間に抑えました。
S医師「貴方を切るのは僕ではないよ。僕の予約は夏までいっぱいだからね。貴方の担当のO医師にさっきレントゲンを送って話してみたら、彼は骨接合がベストだって言うんだよ。わかんねーよなー、まぁ3日後に入院の手配をとるから、その時にどうするかO医師と相談してみてよ。」
医者同士で見解がわれているものを俺が決められるはずもないじゃん、、手術直前まで死ぬほど悩むことになりました。
30代の大腿骨頸部骨折記録②〜N病院〜
事態が飲み込めませんでしたが、午後の仕事の予定をキャンセルして、紹介された近所のN病院に行きました。
診察室に入ると、若い先生でしたが、レントゲンを前に頭を抱えてうんうん言ってました。「患者の前でそんなベタなアクションはアリなのかよ…」と思いましたが、先生は、開口一番これは難しいねと。ストレートに行けば人工股関節でしょうと。
信じられませんでした。さっきの病院でもそんな事を言われましたが、そんな大げさな!と思っていました。
つい先月まで毎日朝に走っていて、ミニマラソンに出たりしていたのです。そもそも人工股関節ってなんやねんという状態です。
ただ、先生は、「貴方はまだ若いから、私は人工股関節を入れたくない。骨をボルトでつなぐ手術をしたい」と仰いました。今はだいぶ良くなっているが、20年ごとに取り替え手術がいるし、特定の動作を取れば脱臼する事もある。貴方が80まで生きるとすれば、合計3回手術が必要になるが、それは現実的ではないと。そもそも人工股関節はあまり動く事を想定していない高齢者用のインプラントなんだと。 ちなみにこんなのです。
アッー!!怖い!
しかし、骨折だけならまだしも転位が起きているので、くっつかない、もしくはついても壊死を起こす可能性が高いと言われました。骨頭にはあまり血流が通っておらず、転位で血管が引きちぎられているとすれば、骨が付いても血流が届かず、骨が腐り始めるからです。
「治る可能性は、50%…いや、30%ぐらいでしょうね。なお、骨折から時間が経っているので整復が難しくこのまま繋ぐことになると思います。すると、左右で脚長差が出ますが、、1.6センチですね。」
僕は手術はおろか入院も骨折もしたことがなく、風邪も10年は記憶にないような健康体でした。人工股関節も現実的でないけど、骨接合も成功率30%、、詰んでるとしか思えませんでした。よくわかりませんが、それだけ足の長さに差が出て歩くのに支障はないのでしょうか、、
とりあえずGWに手術の予約をして、さまざまな検査をして帰る事になりました。
狐につままれたようで状況が理解できませんでした。嫁さんに相談したところ、別の大学病院にも行って話を聞いてみようと言われ、元のO病院に戻って、義父が手術をしたJ病院の紹介状を書いてもらう事にしました。最初の病院の先生は元々J病院の出身者だったので、次の日には診察の予約を取る事ができました。これはラッキーだったのかもしれません。
30代の大腿骨頸部骨折記録①〜最初の骨折〜
2017年4月5日、36歳の時に大腿骨頸部不全骨折を起こし、その後4月17日の診断で頸部完全骨折、転位が認められました。
すぐに全身麻酔による手術をしましたが、そもそも骨がつかない、ついても骨頭が壊死してしまう可能性があり、治る可能性は50%、治らない場合は、人工股関節置換術を行わざるを得ないという状況でした。結果として骨折は完治し、僕のレントゲンは珍しい症例として学会に提出されています。頸部骨折はその予後の悪さから「死の骨折」と言われていますが、300kgの圧力にも耐えると言われていることから、若年層での骨折はあまり見られません。
僕自身、若い人の骨折体験ブログに勇気付けられた事もあり、自分でも書いてみようと思いました。同じような境遇にいる人のお役に立てば幸いです。
4月5日 大腿骨頸部不全骨折判明まで
2017年3月28日、ジムのトレッドミルで走っていると、股関節に何となくの違和感を感じました。気にせず走っていたのですが、やはり痛いのでエアロバイクに切り替えて運動していたのです。その日の夜もまた走りに出かけたのですが、調子が悪くどんどん痛みが強くなる有様でした。3月30日に整形外科に行き、レントゲンをとったのですが、全くの異常なしで、おそらく筋肉痛だろうという診断で、ロキソニンテープを持たされて帰りました。
しかし、足は痛くなる一方でロキソニンを飲みながら歩いていたものの、ついに通勤途中に全く歩けなくなったので、タクシーで病院に行き、状況を訴えました。松葉杖を渡され、MRIを撮ったところ、大腿骨頸部不全骨折と診断されました。ランニングぐらいで折れる骨ではないから、なぜ折れたかよくわからないが、おそらく1ヶ月ぐらいで治るから、松葉杖を使って安静にしてくださいと言われました。他の病院にも念のためかかったのですが、同じ見解でした。折れるはずがないが、MRIを見たら確かに折れてるので頸部骨折なんだろうと。
とはいえ全くの原因不明の状況から原因が分かりホッとしました。これから仕事の繁忙期だったので不安でしたが、早く治して職場に迷惑をかけないようにしようと思っていました。この後あんな事になるとは想像もしていなかったのです。
4月19日 完全骨折
相変わらず痛みは殆どマシになりませんでした。松葉杖にも慣れず、何度か派手に転んだりしました。松葉杖は両腕が塞がるので、雨が降った時には傘もさせないですし、通勤も大変でした。昼食はビュッフェ形式なのですが、自分で取ることができず、後輩に世話になるのも心苦しかっです。両手が塞がるのがこんなに不便な事とは思いませんでした。
ただ2週間ごろには少し痛みもマシになっていたので、19日の診断では松葉杖を片方取っていいか相談するつもりでした。
19日の診断は今でも忘れる事ができません。
レントゲンを撮って診察室に入ったところ、先生が青ざめた顔でレントゲンを呆然と見ていました。非常に緊迫した顔で先生が仰いました
医者「Mさん、これを見てください。完全に折れて転位しています。すぐに手術が必要です。」
M「は?手術? このズレた骨はどうなるんですか?」
医者「ズレた骨は戻りません。。基本的にこのままです。大学病院に紹介状を書きますので、骨をつなぐ手術にするか、人工股関節にするかは向こうの先生と相談してください。」
M「は?人工股関節?」
僕はこの時に待合室で途中まで読んでいた本を未だに読み返すことができません。当時のことを思い出して吐き気がしてしまうからです。