30代の大腿骨頸部骨折日記

実際にけがをした人からリクエストがあり、閉鎖したブログのうち、大腿骨頸部骨折に関する記事だけ復活させます

30代の大腿骨頸部骨折日記〜振り返り〜

2年間の治療の記録を書き終わりました。振り返っても、骨折が発覚した段階で、徹底的に免荷していれば、この事態は防げたはずです。僕がかかった最初の医者は免荷の指示をくれなかった。でも、自分でリスクに気づくにはどうすればよかったか。自分が得た教訓をまとめていきます。

医者に丸投げしない

大腿骨頸部骨折は若年層にはレアな骨折ですし、疲労骨折から完全骨折に至ったケースはさらにレアなケースではありました。しかしネットに情報は多数存在するので、骨頭壊死のリスクや免荷の必要性について、本当にアンテナが高ければ情報を取れたはずです。でも僕は医者に判断を丸投げしてしまいました。免荷という言葉すら知りませんでした。

結局、医者は責任を取ってくれません。自分の身体に責任を取れるのは自分だけです。

治療方針については、自分で納得するまで徹底的に調べるべきだと思います。医学的な判断というものは、素人が思うほど絶対的なものではなくて、医者の数だけ判断の数があり、それらは往々にしてバラバラです。だから出来るだけ多数の医者の意見を聞く事と、彼らの判断の根拠を調べて確認していくことです。

怪我の後、親族が病気になったのですが、この時の思いがあったので、病気に対して徹底的に勉強し、医者向けのガイドラインを読んで、最終的には英語の論文まで読んで、一つ一つの治療方針について、根拠を確認していきました。これらの治療方針についても医者によって言うことは、本当に違います。未来がわからない以上仕方ない事なのです。

できれば医者の言ってることが何のガイドラインか論文に基づいているのかはわかるように勉強したいものです。なんせ自分の身体の事ですから。

 

とはいえ医者の判断に対して敬意を持つ

所詮素人がいくら本を読んだりネットに転がっている論文を読んだところで、何十年も体系的に勉強してきた医者に敵うはずもありません。それははっきり自覚すべきです。

やはり知識の網羅性や応用力の面で絶対的な差が生じます。素人の勉強はせいぜい納得感と、ハズレ医者の見極めに役立つ程度の話なのかもしれません。しかし、このハズレ医者が思ったよりはるかに多いので、地雷を踏まないためにも患者側の勉強が大事だと思っています。ただ、最悪なのは、変に勉強した結果、トンデモ(近藤誠とか代替医療)にハマってしまうことです。それなら何もしない方がマシです。  

 

患者は自分の病状にあった情報にネットでたどり着けるか

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そんな調べる時間もないし、たどり着くのは難しいという事なら次のポイントが大事になると思います。

 

迷ったらとにかく有名でデカい病院に行く

医者の判断や質は本当に各個人で違うので、とにかくセカンド、サードオピニオンを取っていくのが大事なのですが、一刻を争う場合にはそうも言ってられないケースもあります。実感としては街医者は質のばらつきがひどく、なんだかんだで大きく有名な病院は医者の質も検査の正確さも設備の充実度合いも安定しているように思います。ちょっとでもおかしいなと思ったら、街医者に紹介状を書いてもらい、さっさとデカい有名病院に行く事です。

 

運動はエアロバイク

免荷期間中は、片方の足を全く使わないので、筋肉がどんどん衰えます。さらにふくらはぎを使わないので血行不良になり、足の甲が膨れ上がります。

エアロバイクなら、体重を足にかけずに運動できるので、これを積極的に取り入れるべきでした。怪我人でなくても、ジョギングはかなり体に負担がかかるので、頸部骨折まではなくても、膝を中心にトラブルがかなりの割合で発生するようです。正直、ジョギングの方が気持ちいいですが、怪我のリスクを考えるならエアロバイクの方が安全だと思います。

 

とりあえず以上になります。また思いついたら更新していきます。

30代の大腿骨頸部骨折日記15〜完治(ほぼ)

 

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今日でちょうど骨折をした日から2年になります。大腿骨頸部骨折は、血流が弱いため人体の中で最も骨癒合が得られにくく、かつ骨がついても、およそ1/3の確率で遅発性の骨頭壊死が起きる可能性のある厄介な骨折なのですが、骨頭壊死については2年経過すればほとんど大丈夫と言われています。人体の骨は大体2年間で入れ替わるようなので、今の骨は怪我の後に作られた骨であるからということです。

ちょうど昨日、2019年3月26日に診察を受けました。2年ギリギリになって壊死の兆候が発見される人もいるのでヒヤヒヤでした。前の患者が終わってもなかなか呼ばれず、骨のズレを指摘された時もこんな感じだったなと嫌な記憶が蘇ってきました。最近は喉元も過ぎて、別に人工股関節でも生活はできるし、そんなに大騒ぎする事もなかったなんて思っていたのですが、やはり突きつけられると嫌なものです。

レントゲンの結果は、完全にくっついており、壊死の兆候もなしとのことでした。

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先生は何度も何度も本当に人工股関節にしなくてよかったですねとおっしゃいました。先生と僕は同じ年のようなのですが、良くなってきたとはいえ、自分でもこの歳で人工股関節入れたくないと。それはそうです。人工股関節は脱臼リスクもあるし、数十年ごとに取り替えの手術が必要です。

あの時、リスクを取って荷重開始したのが良かったんですねとも。なかなか荷重を開始させてくれない先生を信じきれない事もありましたが、結果として治ったわけですし、今となってはいい思い出です。

先生に自分のレントゲンは学会に出したのか聞きました。研究学会には出したが、忙しくて論文はまだ書けていないと恥ずかしそうに笑いました。

そもそもこれはそんなに珍しい症例なのか聞くと、

「そんなにめちゃくちゃ珍しい症例ってわけでもない。でもこの骨折にはメッセージ性があるんですよ。若くても、1日30分程度の適度なスポーツ習慣でも、大腿骨頸部は折れることがある、また痛かったら早めにMRIを撮って免荷することが大事。貴方だって、免荷していれば、手術しないで済んだかもしれないんですからね!」

そうでした。そう思ってこの一連の記事を書いたのでした。同じような思いをする人が少しでも減るように、同じ怪我をした人が少しでも参考になるように。

今回の怪我からは様々な教訓が得られました。免荷しなかったのは医者の指示がなかったからですが、今となってはそれも言い訳だと考えています。その辺は次回以降に書きたいと思います。

ただ骨折から2年目の日を全く痛みもなく、レントゲンに異常もなく迎えられた事を持って、とりあえず(ほぼ)完治としてまとめたいと思います。

 

前回の続きですが、2018年2月のMRIは全くの異常なしでした。この時から本当に治るかなと思えてきました。2018年5月のレントゲンも順調な回復が見られましたが、先生からもう人工股関節の心配はなさそうですねとのコメントが得られたのは、その後の2018年9月のレントゲンでした。今回で完全に骨がついたようなので、本当に骨折から再形成まで2年かかったことになります。

30代の大腿骨頸部骨折記録14〜前進

O先生「止まりましたね。ズレてしまったと思ったんですが、ここで止まりました。このまま止まってくれたら、大丈夫な気がします。」

 

M「先生、そもそも…前のレントゲンではズレたように見えたんですが、今回ではズレが戻っているように見えます。これ、前回のレントゲンでズレたように見えたのは写り方の問題だったのではないですか」

 

O先生「そうかもしれませんね。毎回同じ姿勢で撮るように技師さんにはお願いしていますが、全く同じ姿勢で取れるわけではないので、その都度レントゲンの写り方が変わってしまう事はありえる。僕は前のレントゲンを見た時は、これは厳しいなと思ったんですが、なんかいける気がしてきましたね。多分大丈夫なんじゃないかな」

 

基本的に慎重極まりないO先生がポジティブな発言をすること自体が今までには殆ど無かったことです。骨折以降ずっと苦しめられてきましたが、潮目がやっと変わったのを感じました。

 

おかしいと思っていました。だって全く痛くなかったのですから。もしズレたり骨癒合が得られていないなら痛くなるはずなのです。でも素人だからその判断に自信が持てませんでした。

 

やっと大手を振って杖なしで歩けるようになりました。もちろん最初は膝が痛くてなかなか杖なしで歩けるようになりませんでした。確か3週間ほどでなんとか杖なしで歩けるようになってきました。やっと日常が少し帰ってきたような気がしていました。

5週間後の2017年12月に病院に行きました。部屋に入るなり、先生はマウスをカチカチして興奮しながら早口で言いました。

「これ見てください!完全にくっついてる。これはついたと思います。折れたところが埋まったでしょ。これは勝ったな、これは勝ったぞ」

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こんなに興奮した様子の先生は初めて見ました。体重をかけた事で骨に刺激が加わり、骨癒合が促進されたようです。やはり骨には体重をかけないと治る力が戻ってきません。だから体重をかけたくて仕方がなかった。しかし、あまり早期に体重をかけてしまうとズレてしまう。4ヶ月もの免荷に耐えられなくなり、セカンドオピニオンをもらおうか、勝手に荷重開始しやうかと悩んだこともありました。

元々、O先生の上司は人工股関節という判断でした。そこを彼は上司に逆らって骨接合という選択を患者に勧めて、その結果がやはりダメだとしたら、批判は免れ得なかったでしょう。彼にとってもリスクを取った手術だったのです。それで興奮していたのかもしれません。

 

O先生「でも、、そもそもなんで折れたんでしょうね、、今までは骨をつけるのに必死でそんな話はしてきませんでしたが、私が見た若年性の頸部疲労骨折はもう一人いるんですが、彼は箱根駅伝の選手だったんですよ。貴方は朝に30分ぐらい走るだけのランナーでしょう。そんな事で折れる骨ではないんです。酒量など生活習慣について改めて確認したいんですが。」

 

なぜ今更そんな事を聞くのだろうと思いましたが、素直に答えました。タバコは1日10本ぐらい吸っていましたが、酒は1日ビール1本飲むか飲まないかぐらいでした。

O先生「うーん、それで折れるなら僕も折れますね。タバコは僕は吸わないけど。。

いやね、今回の症例は珍しい症例だし、折れ方も治り方もあまり見かけないケースなんですよ。このレントゲンを学会に出したいと思ってるんです。名前は出さないから許可をもらえませんか?」

 

もちろんOKしましたが、もう治ったかのように話す先生が不思議でした。だって頸部骨折には常に骨頭壊死の可能性がついてまわり、その結果がわかるまであと1年半近くかかるのです。まだ骨頭壊死のリスクが残ってますよね?と聞いたら、まぁそれはそうですが、、と答えてあまり心配していない風でした。

骨頭壊死の兆候を知るにはMRIが最も有効です。この時点では、ネットで読めるような大腿骨頸部骨折の論文や記事はほとんど読み漁り、疑問点はアスクドクターズという医者に質問できるサイトに入会して解消していたので、相当詳しい状態になっていました。

先生にMRIは受けなくていいのか聞いたら、あぁ受けときますか?という感じの反応でした。彼はあまり骨頭壊死のリスクはないと思っていたのかもしれません。MRIは2ヶ月後の2月に決まりました。

これで何もなければ、完治に向けて大きく前進することになります。

 

30代の大腿骨頸部骨折13〜逆転〜

僕は自分の事を、運のいい人間だと思っていました。今回、運悪く怪我をする前までには、挫折といえば国家試験に何度も落ちた事ぐらいで、それも自分の勉強不足が原因でした。

こんな訳の分からない、理不尽な理由で怪我や病気をした事はなく、いくら50%で再手術と言われても、心のどこかで、自分は運がいいから、50%も確率があるなら、いい方を引けるだろうと思っていました。そして足が痛くなってなかったので、まさかズレてるなんて思いませんでした。

そして、今まで4ヶ月も全く体重をかけない生活をしていたのに、突然松葉杖なしで歩き始めると、あっという間にひざが痛くなってしまい、結局は片手杖で歩くことになりました。もう治らない、人工股関節にしなければならない可能性が高くなった状況ですが、免荷から解放された喜びは大きかったです。段々ともうこれだけ頑張ったんだし、免荷から解放されるなら人工股関節でもいいと思うようになってきました。そして、相変わらず股関節は全く痛くなかったので、やはり本当はズレていないのではないかという思いも強くなってきました。本当にズレてたら痛いはずだからです。

とはいえ、そんなにスマートに対処できたわけでもなく当時のlineを見ると、妻に八つ当たりしたり、怪我当時にザマーミロ!みたいな事を言ってきたツイッターの頭おかしいオッサンにこのタイミングで復讐しようとして、返り討ちにあったり、、

当時のlineやメールを見ると、自暴自棄になっている状況がよくわかります。でも4ヶ月の辛い免荷を経て段々と覚悟が決まってきたのも事実でした。

前回の診察から2週間後にまた診察を受けることになっていました。ここでズレが止まれば僕の勝ちと言われていました。でも、散々裏切られてきた股関節なので、もう信じる事が出来なくなっていました。淡々と日々を過ごし、レントゲンを撮って、診察室に入りました。ひざが痛くてまだ杖をついていました。

O先生は「まだ杖をついているんですね、、」と仰いました。

そして真っ直ぐに僕を見据えて

「Mさん、良かったですね。ズレは止まったみたいです。前のレントゲンを見た時は、もうダメだと思いました。でもこれならいけるかもしれない。いや、いける気がしてきたんです」

 

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30代の大腿骨頸部骨折記録12〜一か八か〜

M「ズ、ズレたんですか。本当だ。。全然痛くなかったのに、こんな分厚いプレートで固定しているのに、ズレてしまった、、」

O医師「わずかながら、骨頭が右回りに回転してきたように見えます。。でも痛みはないんですよね?」

M「はい、全く痛みはありませんが、、

せ、先生、私はこうなる事も覚悟して、荷重を選択しました。4ヶ月も免荷したんです。本当に大変だった。荷重をかけた決定に後悔はありません。。」

これは本音でした。いつ荷重できるかわからず鬱屈とした思いで日々を過ごすなら、たとえダメでも早くわかった方がいいと思いました。

O医師「…考え方を変えてみましょう。要は痛みがなくて歩ければいいわけですよね?

確かにズレてしまったのは残念ですが、このままの状態でも痛みが出ずに歩けるなら、それは一つの解決にはなります。骨頭の形態を見ても、ここでズレは止まるようにも思える。多分止まるんじゃないかな。」

先生の仰る趣旨を図りかねて、黙って聞いていた。

O医師「今日から松葉杖を取って全荷重で歩いてみましょう。一か八かにはなりますが、その上で、ズレがここで止まれば貴方の勝ちです。」

あれほど待ち望んだ全荷重がこんな形で、、全く予想もしない提案でした。また免荷に戻るものと思っていたからです。

基本的には、頸部骨折のリハビリパスは、1/3荷重→1/2荷重、2/3荷重をそれぞれ2週間ずつこなして、少しずつ荷重をかけていくのがセオリーです。免荷4ヶ月も異例ですが、1/3荷重からいきなり全荷重も前代未聞です。あれだけ慎重極まりない先生にしてはアグレシッブ過ぎると思いました。

O医師「要はズレないように、今まで免荷してきたわけですが、もうズレてしまったので、免荷の意味がなくなってしまいました。もう普通に歩いてみてください。それで痛みが出ずに歩けるなら、それも一つの解決でしよう。」

O医師「それとも、引き続き1/3荷重で様子を見てもいいですよ。そっちの方がいいかもしれないな、いきなり全荷重より。どうしますか?」

無意味だった、、雨の日もクソ暑い日も満員電車の日も、あんなに苦労して免荷したのに、無意味…

また、彼が僕に治療方針について意見を求めたのは、これが最初で最後でした。彼自身もショックを受けていたのかもしれません。そうは言ったものの、全荷重とするか、引き続き1/3荷重でいくかで迷い始めました。ただ少しずつ荷重をかけながら様子を見るのは、もううんざりでした。結果はどうあれもう早く決着をつけたかったのです。

M「先生、既に時間をかけてきたし、もし全荷重でこれ以上ズレてしまうなら、もうこの骨で歩く事は出来ないという事なんだと思います。もともと人工股関節間違いなしと言われていたんです。ダメならもう一回手術するだけです。今日から全荷重にしたいと思います。」

O医師「そうですか、、わかりました」

席を立ってドアを開ける前に振り返って言いました。「全荷重に挑戦したいと思いますが、、やっぱり怖くなったらやめますね」

O医師は悲しそうに笑って言いました。

「それは構いません。お任せします」

 

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(上の写真が今回撮ったもので、下の写真が8月に撮ったもの。わずかだが、骨頭が手前側に回転しており、ズレが大きくなったように見えている。)

 

30代の大腿骨頸部骨折記録11〜ついに荷重開始〜

9月5日に6回目の診察を受けました。もう免荷歩行は4ヶ月を超えており、限界でした。

レントゲンを見たのですが、8月8日のレントゲンから何も変わっていません。  

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もう荷重をかけていかないとこれ以上はつかないと確信していました。O医師は少し笑って、ぼそっと言いました。

「免荷継続しますか」

僕は初めてO医師に逆らいました。

「先生、もう免荷して4ヶ月です。確かにここで荷重すればズレてくるかもしれない。でも、ここでダメなら、あと半年後に荷重したってダメだと思います。元々つかない骨だったんでしょう。僕はもう覚悟はできてます。この怪我はどこかでリスクを取らないと治らないと思います。これで荷重してダメなら諦めます。荷重させてください」 

O医師は黙り込んでしまいました。レントゲンを見ながら、本当に2分程度考え込んでいたのです。

「確かに十分に時間は取ったんです。。一か八かやってみましょうか。わかりました。1/3荷重を開始しましょう。リハビリセンターに行って1/3荷重を練習してください。」

1/3荷重とは、体重の1/3まで左足に体重をかける歩行の事で、主につま先だけ地面につけながら歩行します。体重計を見ながら練習するのですが、1/3は思ったより体重をかけることができました。

これにより生活が格段に楽になり、嬉しくて仕方がありませんでした。体重をかけ始めた事により骨もつくだろうと思いました。

2週間後の9月19日、経過観察のため、また病院に行きました。ズレていないかどうか心配でしたが、足は全く痛くなっておらず、もしズレてたら痛みが出るはずだから、大丈夫だろうと信じてました。

診察室のドアを開けて、O医師を見ると、明らかに厳しい顔をしていました。4月19日のトラウマが蘇ってきました。心臓を鷲掴みにされたようで、ふわっと血の気が引き、倒れこみそうになりましたが、何とか椅子に座ることができました。

O医師が口を開きました。

「Mさん、これを見てください。残念ですが、ズレています。ズレてしまいました。」

 

30代の大腿骨頸部骨折記録⑩〜停滞〜

診察は3週間ごとに行われていて、6月27日の診察が、退院して3度目の診察でした。

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上が6月27日のレントゲンで、下が手術直後のものです。明らかに隙間部分がボワっとしてきて、仮骨が形成されつつあるのがわかります。流石に手術から2ヶ月以上経過し、仮骨の形成も見られ、これで荷重開始できると思ったのですが、このレントゲンだけでは仮骨形成しているとは言えないし、まだ免荷を継続するというのが、O医師の判断でした。

このレントゲンは7月18日のものです。

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明らかに隙間は埋まってきています。でも免荷は継続という判断でした。もうこれで3ヶ月目です。梅雨の間も大変でしたが、猛暑を松葉杖で免荷移動するのは、そろそろ限界でした。

でも、慎重に慎重を期したいというO医師の言葉により荷重開始はできませんでした。O医師は恩人ですが、余りにも免荷がキツイので段々とストレスが溜まるようになってきました。

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これは8月8日のレントゲンです。明らかに隙間は埋まってきており、慎重なO医師も仮骨形成は始まっているのだろうという見解を示しました。当たり前です。いくら血流が弱くくっつきにくい頸部骨折とはいえ、もう3ヶ月経つのだから、埋まって当然です。ただ、埋まり切らないのは、荷重を開始しないことにより刺激が与えられず、これにより骨癒合が進まないのだと思っていました(実際にその通りでした)

生活上の不便もさることながら、治療を進展させるためにも、荷重を開始したくて仕方ありませんでした。その次の次の日から夏休みで、このままだと夏休みの旅行も免荷歩行で行かなければなりません。


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この時、正面からのレントゲン写真を見て、ある事に気がつきました。整復し、プレートで固定したはずの骨頭がわずかながら手前側にズレてきているように見えます。

これについてO医師に質問すると、実は手術の2日後には、整復し、プレートで固定したはずの骨頭が、最初に怪我していた時の位置に、自らを削りながら回転し、殆ど整復前の状態に戻ってしまったというのです。

言ってなかったでしたっけ?という感じで、さらっと説明していましたが、これは大変な事態です。僕が落ち込むと思って説明しなかったのか、それとも忘れていたのかは未だによくわかりません。

これでは、手術で時間をかけて整復したのに意味がなかったということになり、そもそも手術した意味さえなかったのでは?と思いました。

そもそもあんなにブ厚いプレートで固定しても骨頭が骨を削りながら、回転することなどありえるのでしょうか。

骨頭がズレた形で骨癒合が開始しているのであれば、なかなかつかないのは当たり前です。あるべき箇所からズレてしまっているのに、骨も血管も付いてくるのでしょうか。だからこんなに免荷が必要だったのかもしれません。

この件はショックでした。なんだかんだで治ると信じていましたが、この時始めて、これはもう治らないかもしれないと覚悟をしました。