やはり職場の飲み会は大事だと再認識した話

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(ただの日記です)

ここ5年ほど、職場での飲み会の数はすごく減ってしまった。原因は複数ある

  • 時間やお金がかかる
  • 単純に皆が忙しくて行けない
  • 次の日にお酒が残ってしんどい事がある
  • お酒自体が身体に悪いのであまり飲みたくない
  • 若い人が嫌がってるかもしれない、または誘っても断られる

この辺の理由で、職場の人と飲みに行く事は滅多に無くなっていた。仕事では後輩に親切にしているつもりだが、嫌われてもいない代わりに、すごく慕われたりリスペクトされてる感じもない。でも、それでいいと思っていた。

ただ最近は自分の仕事で、沢山の人が出張ベースで手伝いに来てくれており、かなり面倒な作業を手伝ってもらっていた。

毎日とはいかないものの、流石に出張でヘルプに来ているのに、飯は別々でよろしくねというわけにもいかず、半ば以上義務感で彼らと飲みに行っていた。週一だ。それ以上は時間的に正直厳しい。

結果として、付き合いの短い彼らととても仲良くなり、彼らの本音や考えている事が聞けるようになった。前日までは、お昼ご飯に誘っても、来なかったような人が進んで参加して、積極的に話してくれるようになった。明らかにコミュニケーションが円滑になり、雰囲気が良くなっている。

何年間も毎日のように仕事で顔を合わせているメンバーよりも、ある意味では距離が近くなっている面もある。仕事は所詮仕事なので、プライベート「的な」時間を共有する事ってやはり重要なのだろうと思った。

時間を共有すること

ある映画を思い出した。「そして父になる」という映画だ。子供の取り違えにより、取り違えられた二家族が交流を重ねる話だ。

気の弱い方のお父さんとエリートの方のお父さんの会話で、エリート父さんが、休日はあまり子供とは過ごせていないが、時間が少ない代わりに質でカバーしているという話をした。

普段は気弱でペコペコしている方の父さんは、珍しく「子供との絆は過ごした時間によって決まる。質がどうのなんて言い訳して、そこで手を抜いちゃいけない」と説教して、エリート父さんにムッとされるシーンがあるが、これが印象に残った。確かにそうなのだ。結局、人間関係はある程度の時間と金を投入しないと、モノにならないのだ。それは家族もそうだし、職場の人間関係だってそうだ。

既存のチームメンバーとは、付き合いも長いし、仕事で長い時間を共有し、彼らの事を彼らの立場で考え、コミュニケーションを取っているので、飲み会はもう必要ないだろうと思っていて、殆ど実施しなかった。それが皆にとっていいだろうと思っていたからだ。でもやはりそれでは埋まらない溝があったと今は感じる。

飲みにいかなくなったその間に、お互いの事がよくわからなくなり、興味関心も薄れ、親しみも減ってきたのかもしれない。仕事ではできないコミュニケーションがやはり飲み会にはあると感じざるを得ない体験だった。

正直面倒だが、やはり昔から続いている事にはそれなりに理由があるんだなぁと再認識し、サボらずやるしかないなぁと今は思っている。

少子化問題はもう解決しなくても良い

前のエントリーと内容が被ってしまいますが、最近考えていることなので、改めて整理して書き直したいと思います。

まず少子化が進行した場合、何が問題になるのでしょうか。経済規模が縮小し、社会保障が持続できなくなるのが大きな問題だと思います。

しかし、少子化は若干進行を遅らせることができても、少子化問題を本質的に解決する事はもうできません。それはなぜでしょうか。まずなぜ少子化が起きてしまったのかを考えましょう。

少子化の原因について

結論から言えば、少子化の原因は未婚化が加速した事にあります。

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資料出所:21世紀政策研究所「実効性のある少子化対策のあり方」、厚生労働省「毎月勤労統計調査」

なぜなら有配偶者の出生率はここ30年ほど変わってないからです。逆に未婚率は上昇する一方ですが、その結果として出生率は下げ続けています。

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未婚化は男女双方に原因があります。男は男で、2次元エロやスマホでますます簡単に見れるようになったAVで性欲を解消し、snsやラインなどで孤独感をインスタントに癒す事ができるようになりました。給料が上がる見込みがないので、家族を養う自信も持てないのと、面倒な女性との付き合いに気を使って、甲斐性を発揮するようなモチベーションが低下しました。女性も社会進出により稼げるようになったことで、生きていくために無理に結婚するモチベーションがなくなり、恋愛感情を強く感じられる相手としか結婚したくないと思うようになったようです。

もちろん弊害はありますが、これは各人が自分の生き方を自由に選択できるようになった結果であり、必ずしも悪いことではありません。しかし、その結果として、結婚して子供を育てるというモデルが、若者から選ばれなくなりました。

では、少子化対策とは?

結局のところ、少子化を本質的に解決するには、未婚問題を解決する必要がありますが、グローバル化により日本人の賃金が下がったことや、個人の自由な選択に重きをおく価値観により、未婚問題を解決する事はもう不可能と言って良い状況です。結婚したくない男女を、今の社会の枠組みで無理やり結婚させる事はできないからです。統一教会のような組織であれば別ですが。

給料を上げるのも難しいでしょう。今の企業は日本人を雇う事にそこまで拘ってないからです。終身雇用をやるつもりはないと大企業のトップが堂々と宣言する時代になりました。

ではどうするのか?

少子化対策と称して、働き方改革で男性の育児参加を促したり、保育園を増設したり、幼稚園を無償化したりしていますが、少子化の本質が未婚問題である以上、これらは殆ど効果がないでしょう。仮に子持ち世帯にお金を投入したところで、子供を増やすよりは、子供の教育費を増やす方向に働くと思います。今後、AIの進展や移民の増加により、格差が更に拡大していくことが見込まれる状況で、自分の子供には勝ち組に回って欲しいと思うのが人情だからです。

少子化はもう解決不能の問題として、他の対策を考える必要があります。「銃病原菌鉄」のシャレドダイヤモンドは少子化は日本のアドバンテージであると言い切りました。人を育て、養っていくための資源や投資が不要になるからです。

最初に戻ると、要は少子化による経済規模の縮小が問題であるならば、人口が減った分だけ労働生産性を高めれば、アウトプットは変わらないはずです。少子化対策に回していたお金をAIやロボットに回して、より人間が少なくなっても、労働生産性を高める事で、同じ生産量が見込める社会を目指すべきだと思います。

いくら供給が減っても、人口が減れば需要が減るではないかという指摘があるでしょうか、全世界ベースで見れば人口は増加傾向にあるので、外需も合算すれば必ずしも需要が減るとは限りません。

もちろん少子化を解決するのがベストです。上記で解決したとしても、AIやロボットの権利を抑えたかどうかで、更に格差が拡大するからです。しかし少子化解決がほぼ不可能とわかった今では、現実的に取れる対策に力を注いだ方が賢明ではないかと思っています。

両親に同居を提案したら断られた話(嫁姑問題に関連して)

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前回、両親の事を書いたら、厳しい親だという反応があった。

卵かけご飯の思い出 - Mのブログ

実際のところは、父親は甘い人だったし、かなり経済的には良くしてもらったと思っている。実態は厳しいというよりはドライな人たちという印象だった。そこで思い出した話があるので書こうと思う。

両親の教えの賜物で、我々兄弟は就職とほぼ同時に家を出たため、彼らは3人も子供を作ったのに、誰も地元に残らず、2人で暮らすことになってしまった。当時、僕は結婚して長男が産まれた頃だった。妻は、僕の両親はせっかく3人も子供を作ったのに、誰もいないのは気の毒だから、自分たちだけでも神戸に戻り、同居したらどうかという話をした。家はそこそこの広さだったし、僕らも家を買わないで済むからメリットがないわけではない。元々、祖父母と二世帯同居をしていたが、玄関を分け、生活は別々のスタイルだった。それであれば可能だと思ったので、母親経由で父親の感触を探ってもらった。会社は段取りを踏めば、時間はかかるが異動可能だろう。

でもあっさり拒否の回答が返ってきた。

父の見解

父親は、会社経営者ではあるものの、かなりの人見知りで、基本的には母親にしか心を開いていない。我々子供と二人きりにでもなれば、気まずそうにしている。彼の言い分としては、「せっかく子供が居なくなって、やっとお母さんと二人で暮らせるようになったんだから、気持ちは有難いが、これからは二人で静かに暮らしたいのが本音だ。」という内容だった。そういえば、妹が東京で就職した後に、夏に両親が上海へ旅行へ行くというので妹も着いていこうとした事があった。その時も父親から妹に

「お母さんと二人で行きたいから、遠慮してくれるか」

という内容の電話があったらしい。。

妹は忙しかったから、休みが合う機会などその時が最後だっただろうに、彼はせっかく母親と一緒に行く旅行を、娘に邪魔されたくないと言ったらしい。。

まぁ、それならそれでこちらも楽だし、罪悪感もなくなるので、分かりましたと伝えた。

母の見解

母親も、私も同居はやめた方がいいと思ってると言った。

「◯◯ちゃん(僕の妻)はいい子だと思ってる。何より明るいのがいい。明るさは人間の魅力の基礎で、私は暗い子が嫌い。ひょっとして通ってるテニススクールとかで、会えてたら仲良くなれたと思う。 

でも、残念ながら嫁と姑の関係になってしまった。嫁と姑は根本的に利害が対立する関係で、うまくいくはずがないものと思ってる。

近づきすぎたら、友人関係なら気にならないようなお互いの気に食わないところが、絶対に気になりだす。それはとても悲しい事だし、適切な距離があれば、お互い嫌わずにいれる。それが許される経済状況にあるうちは、離れて暮らしましょう」

彼女は基本的に極端な考え方をするので、嫁と姑は運命的にうまくいかないものという見解が妥当なものなのかどうかは、僕にはわからない。うまくいってる家もゴマンとあるだろう。そういえば僕がまだ学生の頃に、義母との関係で苦労していた彼女は、「結局は、姑に取って嫁は、自分の可愛い息子を奪っていった女であり、うまくいくはずがない」という独自の見解を披露した事もあった。

でも、そう彼女がそう宣言した通りに、僕らの家族と両親は常に一定の距離を保ち続けて、今でも良好な関係が継続している。少し変わった人たちだから、もし同居をしていたら、今頃拗れていた事は確信できる。

許されるのであれば、親から独立した後は、物理的な距離を保って、お互いに近づきすぎない方がいいのだろうと今では思っている。

卵かけご飯の思い出

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農水省の元事務次官が、引きこもりの長男を殺した事件で、昔のある事を思い出した。

元農水省事務次官 殺人未遂の疑いで逮捕 長男を刺したか | NHKニュース

僕は卵が苦手で、ゆで卵や目玉焼きは食べられないのだが、昔から卵かけご飯が好きだった。実はあれは卵を食べているのではなく、しょうゆを食べているのであって、卵はつなぎに過ぎない。よくおかずとご飯を食べ終わった後に、まだお腹に余裕があれば卵かけご飯をしていた。

父親も卵かけご飯が好きだった。しかし彼の卵かけご飯のやり方は独特だった。卵の白身を捨て、黄身だけの卵をご飯に二つ乗せて、その後ご飯と醤油をかき混ぜて食べるのだ。

僕自身は卵の白身があまり好きではなかったし、白身抜きの卵かけご飯はビジュアルも優れているので、僕も試したかったが、母親が許さなかった。食べられる白身を捨てるような勿体ない事は許さないというのが彼女の言い分だった。

なぜ父親は良いのか

当然僕は、父親がやっているのはなぜいいのかと聞いた。彼女は父親が食べている卵かけご飯は、彼が自分の力で稼いだお金で買ったものだから好きにしたらいいが、お前らは違うからダメだということだった。

いつもそうだった。彼女は、飯を自分で稼いで食えないうちは、この家ではお前らに発言権はないと口癖のように言っていた。父親は自分の力で稼いだ金だから、その範囲では何をしても良いと甘やかされていた。

何かにつけて父親の意向が最優先され、子供の意向や意見はほぼ無視されていた。それに強烈な不満があったわけではなく、面倒なので特に抗う事もなく、お金を自分で稼げるようになったら、面倒なこの家を必ず出て、好きに振る舞おうと思っていた。そもそも彼女は、我々が物心ついた時から、大学を卒業したら家を必ず出るようにと口を酸っぱくして言っており、子供全員に約束させていた。

しかし、彼女は、もし自分で金を稼いで飯を食えるようになったら、その後の人生については一切口を出さないから、好きにすればいいとも常々言っており、その約束は確かに独立後も遵守された。

とはいえ、それでも白身抜きの卵かけご飯は食べてみたかったので、何度かお願いしたが、回答は変わらず、自分の金で飯を食えるようになったら、やればいいと言われた。

大学になったらバイトをするようになったので、卵かけご飯はやろうと思えば出来るようになったが、独立して本当に自分の金だけで飯が食えるようになったら記念として、白身抜きの卵かけご飯をやろうと思った。こちらも意地になっていた。

そして就職後

会計士試験に手こずったため、両親から独立して上京したのは、24歳の終わり頃になってからだった。東京に引っ越しをして落ち着いた頃に、待望の白身抜きの卵かけご飯を食べる事になった。食べてみて驚いた。黄身はパサパサして、単独ではつなぎとして機能せず、あまり美味しくなかった。20年近く憧れていた白身抜きの卵かけご飯の味はイマイチだった。

しかし、ずっと憧れていた味だったので、その後もたまに白身抜きの卵かけご飯はやっていた。あれを食べる事で、自分は両親から独立して一人でやれるようになったんだと思う事ができたからだ。

結局は兄弟3人とも就職して家を出て、今では皆が東京にいる。母は、白身抜きの卵かけご飯まで禁ずることで、子供たちの自立を徹底的に促し、我々が引きこもりニートになる事を防ぎたかったのではないかと今では思う。僕らは、本当に5歳ぐらいからずっと、金を稼げるようになって家を出ろと言われ続けてきたのだ。

いくら子供を産み、育てやすい環境を整えたところで、もう日本で子供は増えない

桜田前大臣がまた発言によって叩かれている

自民 桜田前五輪相「子どもを最低3人くらい産むように」 | NHKニュース

しかし今回の発言は失言に該当するようなものなのだろうか?

僕自身は、やりたくもない結婚して、産みたくもない子供産まなきゃ社会が維持できないって言うなら、別にそんな社会は維持できなくていいんじゃないのと思っている。そして少子化自体はある意味では人間の進化であり、必ずしもそれがマイナスにならない社会になると思っている。

ただ、出生率を増加させて、今までのやり方通りに持続安定的な社会を作りたいという立場ももちろんあって、それが間違っているわけでもない。むしろ責任ある政治家としては当然の立場だろう。

夫婦は二人である以上、人口再生産を持続するなら3人以上生む必要がある。彼の発言は間違ってはいない。

なぜ叩かれたのか?

要は2つの理由から反発されているようだ。

  1. 産む産まないは個人が決定する事で、権力者側にいる政治家が強制できることではない。結婚できない人や産めない人はどうなるのか。
  2. 3人も産めるような環境構築を政治家が怠っている。例えば妊娠しても迷惑がられない、残業なく夫が帰れる、育休からの復帰がスムーズにできる、保育園に待ちなく入れる、なにより何人産んでもいい給与が保障されているわけでもないのに、それなのになぜ無責任に3人も産めなどと言えるのか。

という2点にあるようだ。1は確かにごもっともだが、桜田氏は何も国家権力でもって出産を強要しようとしているわけではなく、多産社会が望ましいという彼の価値観(それ自体は間違ってはいない)を示し、親族間の声かけといった穏当な方法でそれを達成する事を希望したのみだ。軽率な面はあるが、自分にとって望ましい社会の形を語る事ができないなら、政治家はvisionを示す事ができなくなってしまう。

また、例えば、納税をしましょう、両親を大事にしましょうと言ったところで、それが事情によりできない人は世の中にゴマンといるわけで、出来ない人がいる事を理由に、発言を批判されるなら、誰も何も言えない事になる。そもそも政治家は出産や子育てに金をだして支援しろと言いながら、出産自体を奨励するのは許されないという理屈には無理がある。

なぜ出産だけは聖域化されるのだろうか。2の批判も説得力がない。

いくら産み育てやすい環境を整えたところでもう日本で子供は増えない

からだ。この論拠は簡単で、今の日本が決して産み育てやすい環境だとは言えないが、とはいえ昔と比べて著しく子供を産み育てにくい環境でもないのに、出生率は下がる一方だからだ。僕自身は6歳の息子と3歳の娘がいるが、6歳の息子が入学した小学校に今年払わないといけないお金は10万を切るだろう。娘も私立幼稚園に入れたが、補助により月数千円の負担で済む。病気をしても医療費は無料。個人的には思っていた以上に手厚い支援を受けている。

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要は社会が豊かになり、娯楽の選択肢も増え、価値観も多様化し人間が自分の人生を自由で決められるようになった社会では、一部を除いて結婚や子育てなどといった面倒な事を進んでしない人が増えたというだけの事であって、国民に金と時間を与えたところで、選択肢が増えた人たちは、ますます結婚や出産から離れていくだろう。唯一効果があるとしたら、子供を産めば一人当たり一律10百万円支給といったわかりやすい施策だ。もちろんその政策には様々な問題が発生するうえに、本質的な解決にはならないだろうが。

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世界の出生率が高いエリアをマップにしたものだが、アフリカは日本と比べてそんなに子供を産み、育てやすい環境なのだろうか。そんなはずはない。

つまり、少子化の原因は経済発展なのだから、解決するには経済的に困窮するのが一番だが、それは実現困難だろう。少子化を前提として受け入れて、AIをどのように使って、人口減を補えるほどの高生産性を達成するか考えた方がよほど実現可能性がある。移民を受け入れるのも一つの方法だろう。

桜田氏の愚かなところは、今の環境を前提とするなら、もう出生率が3.0を超えるような事は絶対にないのに、その達成手段が親族間での声かけというショボい方法しか思いつかなかったところだが、失言として叩かれるほどの発言でもない。そもそも少子化自体が経済発展に伴って不回避的に付随して発生するものだから一政治家に何ができるわけでもない。

別に結婚出産したくないならしないでいいんだから、それでも社会のために子供を沢山産んでほしいという発言に対して、そういう意見もあるよねと受け入れられるようになるのが、本当に多様な価値観を包摂した成熟した社会なんじゃないのと思う。

池袋の暴走事故現場で被害者の遺族とお会いした話

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池袋暴走事故の被害者の遺族が、新たに会見をされた。前に事故現場に行って献花台に祈りを捧げた話はこのブログに書いたが、その時には書けなかった話がある。被害者の旦那様が、事故現場に行かれた事を自ら明かしたのであれば、もうこの話は書いてもいいだろうと思う。

GWのこと

当日は、ちょうど東池袋トイザらスに用事があって、出かけた。6歳の息子、3歳の娘の入学祝いにおもちゃを買ってあげるためだ。用事が済んだ後に、妻が池袋の事故の献花台に行こうと言った。彼女は既に献花台に訪問して、祈りを捧げていたらしい。家も近く、同い年の娘もいたので他人事と思えないと。

僕だってそうだ。特に突然最愛の妻と娘を失った旦那様の気持ちを一瞬でも想像すると、リアルに具合が悪くなり、吐き気がするほどつらかった。自分が同じ立場ならきっと耐えられないと思うからだ。行かなければならないだろうと思いながら、行きたくなかった。でも、妻が言うから、重い足取りで献花台に行き、並んでいる花や飲み物を見たら、本当に二人が、ボケ老人に殺されてしまった事が実感され、顔を両手で覆って大声で泣いてしまった。隣で妻が「マジで…」と呟く声が聞こえてきた。

旦那様や亡くなられた奥様の無念を思うと、感情が抑えきれなかった。一緒にいた娘が怯えてしまったので、そこから立ち去ることにした。

そして、現場から駅に向かっていると、妻がなかなか着いてこない。振り返ると、ニット帽をしてマスクをした男性と話し込んでいる。なんだろうと思った。妻が僕を手を振って呼び寄せた。まさかまさかと心臓が動悸を始めた。駆け寄ってみると、妻が泣きながらこちらを見て「事故で亡くなった子のお父さん…」とだけ言ってまた泣いた。

何を言えばいいのか

妻が言うには、私たちの後ろを旦那様が付いてこられて、ニット帽にマスクをしていたが、妻は記者会見を見ていたので、すぐに気が付いて、お父さんですよね?と聞いたら、はい、と言ってあちらから、話しかけてこられたらしい。

目を初めて合わせたが、頰がげっそりとこけ、端的に言って目に全く光がなく、死んでいた。今までの人生でこんな目をした人を見た事がなかった。何も言えなかった。

彼はボソボソと語り始めた。

「今日初めて献花台に来たが、旦那さん(僕)が見ず知らずの妻と娘のためにあんなに泣いてくださってるのを見て、お礼を言いたくなって付いてきてしまいました」

「たくさんの人が来てくださっていると聞いていたので、早く来たかったんですが、なかなか来れなくて、今日やっと来れました。
皆さんにお礼を言わなきゃいけないんですが、それはできないから、せめてと思い後を付いてきた」と仰った。

僕の目をまっすぐ見て「見ず知らずの妻と娘のために、こんなに心を寄せていただいてありがとうございました」と言って、ぺこりと頭を下げた。

この人は何を考えているんだと思った。

自分が死んだ方がマシなぐらいの生き地獄にいるのに、なんで通りすがりの他人への感謝なんてまだ残ってるんだよ、なんでフラフラの足で追いかけて来るんだよと思い、みっともなく泣くことしかできなかった。

いくら僕が心を寄せたところで、自分の家族は健在で、彼の気持ちなんてわかるはずもない。何も言えなかった。頑張ってくださいと言おうと思ったが、生きてるだけで既に想像を絶する努力だし、握手もできない。

妻が、「私は加害者を許せません」と言いかけたが、静止した。彼は自分の感情や恨み言は何も言わなかったから。わざわざ追いかけてきてくれたことに感謝を伝えて、その場を去った。

その後

家族と別れて、その辺りをウロウロしていた。

また旦那様が歩いているのを見かけた。きっと一人でいるのは辛いだろうから、お茶でもしませんかと言おうと思い、後ろを追いかけたが、僕は彼の友達でも何でもなく、声をかけられても困るだろうと思い、すぐそこにある背中を見送ることしかできなかった。

その日も次の日も彼の事が頭から離れなかった。女の子連れのお父さんを見たりすると、彼も事故さえなければ、幸せなGWを過ごせたのにと思ったりした。もし自分が彼の同じ立場になったらと思うと恐怖を感じた。

でも、結局は、自分にとって大切な人間を失わず、五体満足のまま一日を終えられる事を毎日感謝して、日々を積み上げていくしかないと考えるようになった。今日、家族も自分も五体満足で過ごせたのは、当たり前の事ではなく、単なる奇跡であって、明日は誰かが死ぬかもしれないが、今日、皆が生き延びれたことを感謝しようと思った。

今日久しぶりに記者会見で話す彼を見た。生き地獄にいるようで、毎日朝起きると二人を失った事を思い知らさられると言っていた。

彼は現場に来たことをマスコミに知られたくないと言っていたので、今までこの話は黙っていた。しかし、今日の記者会見で現場には既に4回行った事を本人が明らかにした。

被害者遺族の人柄や苦しみが少しでも伝わればいいと思って、このエントリーを書いた。皆様がこの事故について、何かを考えるきっかけを提供できたとしたら、大変幸いに思います。。

 

追記: このエントリーに対して削除などの要望ある場合には、ツイッターアカウント@c_s8fまでdmでご連絡お願いいたします。

 

 

 

発狂しそうな3浪東大受験生が東大に合格した話

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以前に書いた「ハーフの中学生が、ask.fmでの適当な相談をきっかけに人生を好転させた話」はだいぶバズって、たくさんの人に読んでもらえてありがたいが、あれほどいい話ではないものの、似たような話が、ask.fm関係でほかにもあったことを思い出した。

東大を目指して3浪して、次が4回目の受験だが、今回が本当にラストチャンスであり、あと20日間で本番だが、プレッシャーで発狂してしまいそうだという相談が僕のask.fmに来た時の事だ。

発狂しそうな3浪目の東大受験生です。センター試験は過去最高の点数だったのですが、試験日が近づき不安で定期的に嗚咽が止まりません。今迄に比べ限界値まで努力はしてきましたが、過去3回の失敗が頭に浮かび死にたくなります。これが本当にラストチャンスです。私はあと20日程度どのように過ごしたらいいでしょうか。 | ask.fm/M_znu

たかが受験ぐらいで大げさだと思うかもしれない。ただ、僕も同じように、会計士試験で3回連続短答式試験という足切り試験で落ちて、4回目の試験で合格した経験があり、本当につらかったので、彼の気持ちはよくわかった。その時の経緯はブログでも書いたことがある。

popaikenzo.hatenadiary.jp

本当に自分を追い込んでうける試験ほど辛いものはない。それまでの数年間の努力がたった数時間の数枚の紙の記載で評価されるのだ。そして、結果次第で人生は大きく変わる。

それから10数年以上仕事をしてきたが、人生を賭けた時の試験の辛さに比べれば、仕事の辛さなど児戯に等しい。1/10以下だ。僕には彼の気持ちがよくわかった。発狂という表現も大げさではないだろう。

だから、僕は以下のように回答した。

「本当に自分を追い込んで受ける試験の前って極限状態になりますよね。視野も恐ろしく狭くなります。
多分綺麗事にしか聞こえないでしょうが、貴方がそこまで自分を追い込んで努力した事が、後で必ず役に立ちます。そこまで自分は追い込めたのであれば、別に東大にうかろうがうかるまいが、もっと大事な能力を身につけていますので、合否はそれほど貴方の人生に影響を与えないでしょう。

普通の人は同じ大学を4回も受験するチャンスなど与えられませんから、その意味では貴方は恵まれています。本来は無かったはずの4回目が奇跡的にある。うかれば儲けモノです。貴方がやってきた事をぶつけても、それでも合格できないなら、入らない方がいいのです。今はわからないかもしれませんが、そういう事は世の中に多くあります。絶対に今回合格しなければと思ったら多分負けます。」

試験に限らないが、我々人間は、結果をコントロールすることはできない。我々にコントロールできるのは自分の行動だけであって、そこでベストを尽くして結果は運に任せるしかない。その理不尽さに心を乱されず、結果のために唯一コントロール可能な自分の行動を、確実にコントロールすることでしか結果はついてこない。彼の頭から、可能な限り、結果のことを追い出したかった。

そして、合否はどうあれ、そこまで自分を追い込めた経験や受験によって得た知識や能力が確実にこれからの彼の人生に寄与すると思ったのも事実だ。しかし、「合否は貴方の人生に影響を与えない」は、はっきり言って嘘だ。。それだけ何年間も真剣に打ち込んできたチャレンジの結果、良し悪しはともかく、結果が人生に影響を与えないはずがない。でも、それだけ彼が努力してもここで合格できないなら、本当に入らないほうがいいと思った。試験は本当につらいが、そこで失敗したからといって、取り返しがつかないほど、人生はシンプルなものではなく、それを糧にできるかどうかは、彼次第と思うからだ。

結果はどうあれ、彼が実力を出し切って後悔のないように受験をしてほしかった。たかが東大受験程度で、ここまで自分を追い込めて勉強できたのだから、自分の実力さえ出せれば受からないはずはないと思った。箸にも棒にもかからない成績なら自分を追い込むことができないからだ。

そして桜は咲いた。

結果報告

発狂しそうだった東大受験生です。なんとこの度合格することができました。 不安で何度か過呼吸を起こしてしまいましたが、Mさんのアドバイスを受けて、合格にばかり固執して追い込んできた自分を見直し、直前だからこそこれで合格しないなら入らなくてもいいと自分に言い聞かせ、フラットな気持ちで受験することができました。 試験後は様々なことから解放されたこともあって、帰りの電車の中で泣いてしまいましたが、すごい充実感の中で発表の時を待っていました。 3回落ちているので自分の番号が掲示されてるなんてまだ夢のようです。3年遅れとなりますがやっと東大生になれたので目一杯楽しんで勉強したいと思います。 | ask.fm/M_znu

何より彼が強いマインドで試験をうけることができ、満足した状態で結果発表を迎えられることがよかったと思った。だからそう回答した。

「おめでとうございます。あの回答をTLに流した時に「多分この人はうかる」と言った人がいたのですが、後付でなく僕もそう思っていました。そこまで自分を追い込んだ上で、合格できない試験は世の中にそうないと思うからです。ただ、それを回答に書かなかったのは合否をできるだけ頭から除いた上で、自分の力を出し切ることだけに集中して試験に臨んでほしいと思ったからです。東大に合格したことよりも、限界まで自分を追い込んでかつ目標とする結果を出した事がすばらしいと思いますし、それが貴方の財産になると思います。」

常々不思議なのだが、たとえば高校自体に部活に打ち込んだり、同級生たちと恋愛にうつつを抜かすことは青春の1ページとして、美化された形で表現されることが多い。しかし、10代に勉強に打ち込むことは、ガリ勉や根暗としてネガティブなイメージで語られることが多い。これはおかしな話だ。

勉強であれ、運動であれ、恋愛であれ、自分のすべてを賭けて挑戦することが尊いのであって、その対象で差別されるべきではない。

彼の必死の努力は、東大の学歴よりも、彼の人生の財産になるはずだと確信している。最後に羽生さんの名言でこのエントリーをしめくくりたい。

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