(ask.fm)説教おじさんの田端評をどう思いますか?

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この説教おじさんの田端評に対して意見を求める質問がありました。田端氏関連はこれで最後にしたいと思います。

ポパイ謙三 on Twitter: "https://t.co/Cfujfz1Lo7
ハイクさんはこう捉えたようですね — 説教おじさんは僕より遥かに賢い人なんですけど、これは外していると思います。時間があったらブログにします。 https://t.co/YWCnl9x6cB"

田端氏のリスク分散発言は、言葉の綾として出た余計な一言で、中2的なイキリ発言であるとするのが説教おじさんの主張だと思いますが、田端氏の思考プロセスを追っていくと、流れの中では、必要な発言だったのだろうと理解しています。

田端氏の発言を振り返る

 流れを整理すると、元々の主張は、田端は自分の子供が相手でも過労死は自己責任なんて言えるのか?という内容ですね。それに対して、たとえ相手が自分の子供でも関係ないと田端氏が答えたわけです。

直近のエントリーで説明したように、田端氏の発想の根底には、労働において自分の身を守れず死んでしまう弱い個体は、一定数不回避的に発生してしまうという前提がある。社会や会社をどう変えたって、これはゼロにはならないんだと信じている。
だからこそ過労死をなくならないんだから、各個人には強くなれと言っているわけです。ある意味では、これは弱者切り捨ての冷たい発想です。
しかし、その冷たさを自覚しているからこそ、自分の子供が弱者であった場合でも受け入れると彼は言っているわけですね。

仮に強い個体であったとしても子供が無事に育つ保証なんてないわけですから、たとえ誰かがいなくなっても、お互いを支えられるように子供を沢山作ったという意味だと理解しています。それをリスク分散という表現をする必要はなかったでしょうし、イキリといえばイキリですが、流れから見れば不要な発言ではないと思っています。

説教おじさんの解釈について

説教おじさんは、「弁護士の問いには、『自分の子供は大事なはず』という暗黙の前提があるんだけど、田端氏はこの前提に対して、俺は子供3人でリスク分散しているから1人の価値は低いっていう前提潰しをしてる」と解釈していますが、これが違うと思います。

田端氏が言いたかったのは、子供の価値が自分にとって低いという事ではなく、田端氏が信じる「弱い個体が死ぬのは仕方がない」という大原則からは誰も逃れることはできないから、死んだら悲しいけど、残った人間でやっていくしかないということでしょう。koba35さんも指摘していますが、子供の価値が低いと思うなら3人も作るわけないんですよ。一人ひとりにめちゃくちゃお金も時間もかかるんだから。

冷酷かもしれないけど、「弱い個体が死ぬのは仕方がない。それがたとえ自分の子供であっても。」という考えは理屈としては一貫しているし、自分の身になって考えていないわけじゃないという意味でのリスク分散発言であると理解しています。

先のエントリーでも説明したように、過労死は自己責任論自体が間違っていると思いますし、何でもかんでも田端氏を擁護するわけではありません。しかし、説教おじさんはとてつもなく頭がいい人ですが、今回の田端氏が子供の価値を重く見ていないということを表明するためにリスク分散という表現をしたという理解は、外していると僕は思います。

popaikenzo.hatenadiary.jp