やはり職場の飲み会は大事だと再認識した話

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(ただの日記です)

ここ5年ほど、職場での飲み会の数はすごく減ってしまった。原因は複数ある

  • 時間やお金がかかる
  • 単純に皆が忙しくて行けない
  • 次の日にお酒が残ってしんどい事がある
  • お酒自体が身体に悪いのであまり飲みたくない
  • 若い人が嫌がってるかもしれない、または誘っても断られる

この辺の理由で、職場の人と飲みに行く事は滅多に無くなっていた。仕事では後輩に親切にしているつもりだが、嫌われてもいない代わりに、すごく慕われたりリスペクトされてる感じもない。でも、それでいいと思っていた。

ただ最近は自分の仕事で、沢山の人が出張ベースで手伝いに来てくれており、かなり面倒な作業を手伝ってもらっていた。

毎日とはいかないものの、流石に出張でヘルプに来ているのに、飯は別々でよろしくねというわけにもいかず、半ば以上義務感で彼らと飲みに行っていた。週一だ。それ以上は時間的に正直厳しい。

結果として、付き合いの短い彼らととても仲良くなり、彼らの本音や考えている事が聞けるようになった。前日までは、お昼ご飯に誘っても、来なかったような人が進んで参加して、積極的に話してくれるようになった。明らかにコミュニケーションが円滑になり、雰囲気が良くなっている。

何年間も毎日のように仕事で顔を合わせているメンバーよりも、ある意味では距離が近くなっている面もある。仕事は所詮仕事なので、プライベート「的な」時間を共有する事ってやはり重要なのだろうと思った。

時間を共有すること

ある映画を思い出した。「そして父になる」という映画だ。子供の取り違えにより、取り違えられた二家族が交流を重ねる話だ。

気の弱い方のお父さんとエリートの方のお父さんの会話で、エリート父さんが、休日はあまり子供とは過ごせていないが、時間が少ない代わりに質でカバーしているという話をした。

普段は気弱でペコペコしている方の父さんは、珍しく「子供との絆は過ごした時間によって決まる。質がどうのなんて言い訳して、そこで手を抜いちゃいけない」と説教して、エリート父さんにムッとされるシーンがあるが、これが印象に残った。確かにそうなのだ。結局、人間関係はある程度の時間と金を投入しないと、モノにならないのだ。それは家族もそうだし、職場の人間関係だってそうだ。

既存のチームメンバーとは、付き合いも長いし、仕事で長い時間を共有し、彼らの事を彼らの立場で考え、コミュニケーションを取っているので、飲み会はもう必要ないだろうと思っていて、殆ど実施しなかった。それが皆にとっていいだろうと思っていたからだ。でもやはりそれでは埋まらない溝があったと今は感じる。

飲みにいかなくなったその間に、お互いの事がよくわからなくなり、興味関心も薄れ、親しみも減ってきたのかもしれない。仕事ではできないコミュニケーションがやはり飲み会にはあると感じざるを得ない体験だった。

正直面倒だが、やはり昔から続いている事にはそれなりに理由があるんだなぁと再認識し、サボらずやるしかないなぁと今は思っている。