30代の大腿骨頸部骨折日記

実際にけがをした人からリクエストがあり、閉鎖したブログのうち、大腿骨頸部骨折に関する記事だけ復活させます

ポジティブでいこう

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他人を無根拠に励ます事をひどく嫌う人がいる。キングコング西野のスピーチに対しても、失敗を恐れずに挑戦しろなんて無責任ではないかと言う人がいた。

わからなくもない。何の根拠もなく、「きっとうまくいくよ」とか「大丈夫だよ」と伝える事を無責任に感じるのだろう。 

僕も何もなくそう思っていた。だから例えばAという結果を望んでいるが、うまくいくかどうか不安な人を励ます時に、もしBという結果になってもこんなにいい事もあるから、あまり結果を気にせず頑張ってください、というような励ましをすることが多かった。責任が取れない事に対して、無根拠な事を言う事に抵抗があり、Aという結果になる事を保証するような事は言えなかった。

でも、それって単なる自己保身ではないかと思う事もある。逆に無根拠な励ましが他人を救う事あると最近は思う。

怪我した時の話

このブログでも書いたが、ランニング中に大腿骨頸部を骨折して、あれよあれよという間にどんどんまずい事になり、急いで手術はしたものの、治る可能性は50%、治らなければ人工股関節という状況があり、呆然としていた頃のことだ。

医者は無責任な事は言わなかった。治るかどうかは天のみぞ知る、骨折した時に、壊死するかどうかはもう決まっているから、やれる事をやっていきましょうという態度だった。間違っちゃいない。甘い事は決して言わなかった。周りの人も、同じ感じだった。人事を尽くして天命を待つしかないと。全くの正論だ。

でも1人だけ、

「治りますよ。必ず治りますからリラックスしてください。あまり考え込まないでください。絶対治りますから大丈夫です」

と言ってくれた人がいた。

この人は何を根拠に言ってるのだろうとは思わなかった。この人は、切羽詰まった自分には見えてない何かが見えていて、そういう人から、客観的に見たら自分は治るように見えるんだ、本当に治るのかもしれないと思った。彼はものすごく自信ありげに治ると言い切ったのだから、何かあるのだろうと思った。

もちろんその後も苦しい事は何度もあったが、その時に言われた事を思い出して、気を取り直す事が何度もあった。その言葉を信じて、何となく自分は治るんじゃないかと思うようにした。

治った時、その人に「ほら、だから治ると言ったでしょう」と言われた。本人も覚えていたのだ。

無根拠な励ましは時に人を救う

ロジカルに、合理的に、他人を励ます事は時に簡単だ。

「これがダメになったからって死ぬわけじゃない」

確かにそうだ。それは正しい。でも、死ぬわけじゃなくても、本気で悩んでる人に、その言葉は多分救いにもならない。

何の根拠もなく「貴方は治りますよ」と言えば、もし治らなかった時に逆恨みされるかもしれない。そこまではいかなくても、「何を無責任な」と思うかもしれない。

でも、無根拠でポジティブな励ましが、時に人を救う事もある。前向きであれば、いくら無根拠でも励ませば、いい結果が出ると言いたいわけじゃない。ケースバイケースだ。でも、いつでもロジカルである事が正解であるわけではないのだ。そして、他人の人生を変えるような言葉は、いつだってポジティブなものなんだと信じている。

(この人間心理につけ込むのがスピリチュアル系なのだが、ここではそのリスクについて語る事は本題ではないので、またの機会に譲ります)