有名ブロガーHagexさん刺殺事件に対する所感

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私はこの事件が起きるまで、hagexさんという人を全く知らず、彼がどんなキャラクターで、どんな事を書いていたのか全く知りません。しかし、そんな人間にとっても今回の事件は衝撃的でした。見て見ぬ振りをしていた、インターネットで自分の意見を広く発信する事のリスクを強烈な形で突き付けたからです。

最初は、被害者がsnsで加害者を執拗に煽った事で恨みを買って襲撃にあったのだと思いました。しかし、色々調べてみるとどうもインターネット通り魔的な犯行であることがわかりました。一連のツイートが真相に近いように思います。

 

 今回の事件で特異なポイントは以下の3点

  1. インターネットでのいさかいが、殺人事件にまで達したおそらく初めてのケース。
  2. 被害者と加害者はリアルでの接触は事件当日までほとんどなく、従って顔見知りですらない。
  3. それどころかネットの絡みですらそれほどなく、被害者に落ち度らしきものも殆ど認められない。

加害者の犯行後の声明を見ると、ガス抜きや引きこもりなどの記述があり、日常生活において強い不満と絶望感を感じていたことが推測されます。おそらく、ネットですら他人とうまくコミュニケーションが取れず、「ネット弁慶を卒業する」ために、被害者はターゲットになったわけで、誰でもよかったようにも見受けられます。

ではどうすればよかったか?

一部のSNSでは、煽り文化や露悪的な芸風が定着していますが、精神障碍者や社会的な弱者を煽ったり攻撃しないことは大事だと思います。しかし、今回の場合は、hagexさんが煽ったことより、有名であることがそもそも悪かったようにも思います。おそらくhagexさんが加害者にはっきりと言及したのはこの記事だけで、悪意をもった荒らしに対して、このレベルの言及すらしないのは難しいと思います。

低能先生に対するはてなの対応が迅速でビックリ - Hagex-day info

SNS経由で人と会わないというインターネットリテラシーの重要性を改めて説く人もいます。それは確かにそうなのですが、彼は積極的に加害者と会ったわけではなく、リアルでのいさかいが殺人に発展したわけでもないのです。たまたまネットのだれかを殺したいと思った時に、hagexさんが生活圏に現れたのが真相でしょう。

最終的な対策は

ネットのアカウントがオフラインに飛び出して、リアルでのつながりを持つと、そこが脆弱性になって現実に危害を加えられる可能性があることが改めて明らかになりました。

SNSはリアルではなかなか接点の持てないような人種と意見を交換したり感情を共有することができますが、リアルではなかなかお目にかかれないような危険な人物も呼び込んでしまうリスクが改めて明らかになりました。

もちろんSNSをやらないことが最大の防御策です。

しかし、それが難しい場合でも、住居や会社など生活圏に繋がる個人情報は出さない、SNSにいる人と会わない、イベントなどには参加しないことが大事であると再認識させられます。リアルとネットでのアカウントを紐付けないことを徹底していれば、画面の向こうにいる人を殺すことはできません。

特にイベントの危険性は高いと思います。非常に密集した空間で、参加者のチェックも甘く、参加さえすれば恨みをもったアカウントとリアルの人物の紐付けが一目で確実でにできる、、私は登壇者としてはもちろん、ギャラリーとしても、今後絶対にネットのイベントに参加することはしないと思います(今までもありませんが)。

 

今回初めてHagexさんのブログを少し拝見しましたが、皮肉屋で確かに万人受けするキャラクターではなかったのでしょうが、殺されるような反社会的な内容では当然なく、まだ若く魅力ある人間が、突然の暴力によりこういった形で不意に人生を終えざるを得なかった点について、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

 

共働きなのに、家事が全く手伝えない(ask.fm)

今日のご相談です。

仕事が辛いと夫婦関係悪化しません?共働きなんですが、仕事が辛すぎて家事など全く手伝えず相手の不満が溜まっているのを感じます。転職することも考えてますが、どんな仕事も辛い時はありますよね?ポパイさんは家事は担当していないのだろうけど、仕事のストレスを家に持ち込むか持ち込まないかの話なのかとも思います。どうすれば良い関係を築けるでしょうか?

 原因は絶対的な時間の不足にある

私の家は専業主婦世帯なので、あまり適切な回答ができないのかもしれませんが、これは最近よく聞く話です。

きちんと計算してもらうとわかるのですが、フルタイムの勤務の場合に、人間が自由に使える時間は1日4~5時間程度です。

この中で共働きの人は、子供を寝かしつけたり、ごはんを作って、皿を洗い、掃除をしたり、テレビを見たり、勉強や筋トレをしたりしないといけないのです。しかもこれは、残業ゼロの前提なので、残業が4h発生してしまうと家事に使える時間はゼロになります。

実際にシミュレーションしてもらうと、夫婦そろってフルでバリバリ働く共働きというコンセプトはかなり厳しいことがわかると思います。

私の場合は、独身の頃から上司より「もし仕事に注力したいなら、キャリア志向の女性とは結婚するな、お互いの時間の奪い合いになって、関係が悪化する」と言われていましたので、大手企業の一般職とばかり合コンをし、専業主婦でも構わないと言ってくれる人と結婚しました。

相談者は気のもちようで夫婦の関係が改善すると考えているようですが、原因は絶対的な時間の不足にあります。私の部下も同じ状況で、子供が小さいのに家事育児が手伝えないので、今の会社をやめて、もっと仕事が楽な別の会社に転職しろと言われているようです。本当にやめたいのなら仕方がないですが、家事育児のために自分のキャリアをあきらめるのは残念な選択だと思います。

時間はカネで買うしかない

本質的には、夫婦のどちらかがキャリアを諦めて、家事育児にシフトするのがよいのですが、そうもいかない事情はあるでしょう。

お互いの時間の使い方を見直さなければならないのでしょうが、特に子供が小さいころに家事育児負担が大きい時期を乗り切るために、思い切って外注に家事をお願いするのがよいと思います。

 

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私の別の部下(独身)は、このサービスにより全く家事をやらずに、浮いた時間を自己投資に使っているようです。

家事代行サービスは一つの例ですが、勤務地に近いところに引っ越しをして、通勤時間を削減する方法もあります。仕事の時間がどうしても短縮できないなら、時間をカネで買うしかないと思います。

共働きなのに、家事育児を押し付けられている奥様が不満に思うのはもっともなことで、これは時間を生み出して、貴方かもしくは他の誰かが家事育児をする事によってしか問題は解決できないと思います。

 

(ask.fm)結婚相手と離婚しないためにはどうしたらいいですか?

(質問)

結婚願望が高まる一方な反面、今一番怖いものが離婚な独身アラサーです。結婚相手と離婚しないためにはどうしたらいいですか?

結婚生活がうまくいくかどうかは相手選びの段階で既に決まっていると思います。うまくいかない夫婦のあり方はそれぞれですが、うまくいっている夫婦のありようはどれも似通っています(アンナカレニーナ

収入が安定していて、誠実な相手を選ぶのが一番ですが、このご時世、安定収入は難しいでしょうし、誠実かどうかなんて漠然としていますから、結婚してうまくいっている夫婦、そうでない夫婦を見比べて、もう少し何を重視すればいいか、所詮は僕の感覚にすぎないのですが、具体的に記載します。ちなみに下記の内容を部下の結婚式のスピーチで使う予定なので、違和感がある方は是非コメントお願いします。

勤勉であること

うまくいっている夫婦の傾向として、男が勤勉であることが挙げられます。仕事ができるできない、稼いでいる稼いでないはあるでしょうが、女性は、結婚生活においては勤勉な男性を尊敬し、愛する傾向があるように思います。少々非モテだろうと、家事がおぼつかなかろうと、勤勉であれば大目に見ている人が多いような印象です。霊感ベースでは、女性の本能的なものではないかなと思っています。

堅実で虚栄心が強いタイプでないこと

頻繁に夜に飲み歩く、もしくは洋服や車といったお金のかかる趣味を持っている旦那だと生活が安定しません。また、飲み歩く趣味があると誘惑も多いので浮気のリスクもあります。なんだかんだで離婚原因の多くに浮気があります。ゲームや読書、筋トレなど地味な趣味を持っている人はお金もかからず、結婚向きです。以外とそういった面は生活に影響してきます。

女遊びが盛んでも結婚したら落ち着くタイプとそうでないタイプがいますが、傾向として、ナルシスト系はいまいち落ち着かず、結局離婚に至っているケースが多いように思われます。ナルシスト系とは女遊びが承認欲求と結びついているタイプのことです。この手のタイプはそもそも他人に合わせる事が苦手です。

家庭にコミットするタイプであること

最近はあまり見かけませんが、仕事ばかり、もしくは遊びばかりで家庭にコミットしないタイプだとうまくいきません。特に貴方がキャリア志向の女性である場合には、逆にあまり仕事仕事でなくワークライフバランス重視型(収入は低めでも)を選んだ方がよいと思います。出産後は時間の奪い合いになるため、夫婦ともにキャリア志向だとかなり関係が悪化します。ただ残念ながらこれは付き合っている段階ではわからない事が多いと思います。協調性のあるタイプは家庭にコミットするタイプが多いように思います。

あと出会い方でいえば、同じコミュティ内での恋愛(社内恋愛等)が最強で、次が友達の紹介です。SNS経由での結婚も最近は増えていますが、リスクはやや高い印象です。文脈やバックグラウンドの違う相手とマッチングしてしまうからです。これは別の機会に詳しく記載します。

上記、参考になれば幸いです

(ask.fm)説教おじさんの田端評をどう思いますか?

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この説教おじさんの田端評に対して意見を求める質問がありました。田端氏関連はこれで最後にしたいと思います。

ポパイ謙三 on Twitter: "https://t.co/Cfujfz1Lo7
ハイクさんはこう捉えたようですね — 説教おじさんは僕より遥かに賢い人なんですけど、これは外していると思います。時間があったらブログにします。 https://t.co/YWCnl9x6cB"

田端氏のリスク分散発言は、言葉の綾として出た余計な一言で、中2的なイキリ発言であるとするのが説教おじさんの主張だと思いますが、田端氏の思考プロセスを追っていくと、流れの中では、必要な発言だったのだろうと理解しています。

田端氏の発言を振り返る

 流れを整理すると、元々の主張は、田端は自分の子供が相手でも過労死は自己責任なんて言えるのか?という内容ですね。それに対して、たとえ相手が自分の子供でも関係ないと田端氏が答えたわけです。

直近のエントリーで説明したように、田端氏の発想の根底には、労働において自分の身を守れず死んでしまう弱い個体は、一定数不回避的に発生してしまうという前提がある。社会や会社をどう変えたって、これはゼロにはならないんだと信じている。
だからこそ過労死をなくならないんだから、各個人には強くなれと言っているわけです。ある意味では、これは弱者切り捨ての冷たい発想です。
しかし、その冷たさを自覚しているからこそ、自分の子供が弱者であった場合でも受け入れると彼は言っているわけですね。

仮に強い個体であったとしても子供が無事に育つ保証なんてないわけですから、たとえ誰かがいなくなっても、お互いを支えられるように子供を沢山作ったという意味だと理解しています。それをリスク分散という表現をする必要はなかったでしょうし、イキリといえばイキリですが、流れから見れば不要な発言ではないと思っています。

説教おじさんの解釈について

説教おじさんは、「弁護士の問いには、『自分の子供は大事なはず』という暗黙の前提があるんだけど、田端氏はこの前提に対して、俺は子供3人でリスク分散しているから1人の価値は低いっていう前提潰しをしてる」と解釈していますが、これが違うと思います。

田端氏が言いたかったのは、子供の価値が自分にとって低いという事ではなく、田端氏が信じる「弱い個体が死ぬのは仕方がない」という大原則からは誰も逃れることはできないから、死んだら悲しいけど、残った人間でやっていくしかないということでしょう。koba35さんも指摘していますが、子供の価値が低いと思うなら3人も作るわけないんですよ。一人ひとりにめちゃくちゃお金も時間もかかるんだから。

冷酷かもしれないけど、「弱い個体が死ぬのは仕方がない。それがたとえ自分の子供であっても。」という考えは理屈としては一貫しているし、自分の身になって考えていないわけじゃないという意味でのリスク分散発言であると理解しています。

先のエントリーでも説明したように、過労死は自己責任論自体が間違っていると思いますし、何でもかんでも田端氏を擁護するわけではありません。しかし、説教おじさんはとてつもなく頭がいい人ですが、今回の田端氏が子供の価値を重く見ていないということを表明するためにリスク分散という表現をしたという理解は、外していると僕は思います。

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「過労死は自己責任論」はなぜ炎上したのか

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そもそも炎上の発端となった田端氏と、弁護士たちによる「過労死は自己責任論」について、憤っている人は多いものの、結局論点は何で、田端氏の発言の何が問題だったのかが余り整理されていない気がします。まとめを見ても、議論は当初から全く噛み合っていません。弁護士たちも田端氏の煽りペースに乗せられ、遺族の前でそれを言えるのかといったような感情論に陥ってしまっています。

これは田端氏と弁護士がそれぞれ全く別の話をしているからです。

まずややわかりにくい田端氏の主張を分解します。

田端氏は過労死に至った人にも、自己防衛できなかった責任の一端はあると主張します。この主張の意味するところが大変にわかりづらい。なぜなら自分の身に起きた事なんて、突き詰めていけば自分に責任はあるに決まっているからです。隕石が落ちてきて死んでしまったことすら、こじつければ本人の責任にする事は可能です。

そんな事を議論しても意味がないし、誰に責任があるのかではなく、前澤社長の言う通り、どうやったら過労死を無くせるのかの方が大事なんじゃないのかと疑問に思われるでしょう。結局、彼の本音は以下のツイートにあるのではと推測します。

 

 

 特に下のツイートは重要です。要は、彼は過労死なんて、企業側が何をどうやってもゼロにはならないんだから、減らす努力はほどほどにして、各個人が死なない側に回れるよう努力しろという話をしたかったようです。

仮に99%が毎年生き残るとしたら、その99%に入るための心構えを説いているのですが、弁護士たちは亡くなる1%をどのようにして減らすかについて話をしているので、全く噛み合っていないのです。

つまり田端氏は、あくまでも目の前にいる個人の集合に対して話しているつもりなのですが、弁護士及びギャラリーは、マクロの過労死対策の解決策として聞いてしまっているため、それでは1%は救われないと憤っているのだと思います。

これはツイッターではしばしば起きる事で、私も失敗の経験がありますが、今自分はミクロの話をしているのか、マクロの話をしているのかは、ギャラリーに誤解のないよう明確にする必要があります。特に今回は、高プロという社会制度の話が発端なので、弁護士側はマクロの話をしているのだろうと受け取るのが当たり前です。この点を整理しなかった田端氏に落ち度があるように思います。

余談ですが、私のポジションとしては、過労死は不回避的に発生するものではなく、絶対にゼロにすべきもので、過労死として認定されたものについては、便宜的にでも雇用者側に100%の責任があると考えるべきだと思います。理由は単純で、これが人の命に関わることだからです。企業は利益を追求する集団だからこそ、人の命より利益を優先しないというルールは守らなければなりません。その上で各個人にはどれだけ辛くても死んだらアホやでと言い続けます。理由は単純で、人の命に関わることだからです。

こういうエントリーを書くと、批判されたから日和ったと解釈する知的レベルの低い人たちが必ず現れるのですが、「是々非々」という言葉の意味を、辞書で引いていただけたらと思います。

田端氏 @tabbataを擁護したら炎上した件について

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アクセス数ワラタw

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 はてなブックマーク - 田端氏の「子供が死ぬのは仕方ない」発言は、親の心情としてはわかる話 - popaikenzo’s diary

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9割罵倒ですw

このブログはまだ記事が8つしかなく、はてブの仕組みもよくわかっていないのですが、アホ知的レベルが低い人たちが好き勝手にコメントできる仕組みだと言う事はよくわかりました。

いっぱい頂いたコメントについては、殆どがくだらない内容ばかりですが、興味深いものや説明した方がいいと思われるものあったので、よくある批判を挙げて、いくつか説明してみます。

  • ある子が亡くなった時に、その子にまつわる悲しみが他の子がいたら軽くなるということはないので「悲しみのリスク」分散は理解できない。

こういう意見は多かったですね。先のエントリーでも述べたように、子供は一人一人がかけがえのない存在で代わりはききません。しかし、不幸にも先に亡くなってしまった場合に、他にも子供がいる事で救われる部分は必ずあると思います。「代わり」ではなく、「支え」なんですね。例えば、不慮の事故で子供が亡くなった場合に、他に子供がいるかどうかで、悲しみの深さは同じでも、その後の人生の向き合い方の難しさは変わると思います。これは親だけでなく子供たちにとってもそうでしょう。

もちろん子供が増えれば増えるほど、単純に子供を失うリスク自体は上がるわけですが、残った子供たちが支えになってくれる効果の方が大きいだろうと僕は感じています。

プライベートライアンという映画があります。ライアン四兄弟のうち上3人が戦死してしまったため、スペシャルチームを作り、4人目のライアンを決死の覚悟で救いに行く話です。なぜライアンを救わなければならないのか?

家の存続もあるでしょうが、お母さんを一人にできないだろうというセリフがあったように思います。子供3人を亡くして悲しむお母さんの支えになれるのはライアンしかいないから、死ぬ覚悟で助けに行ったのです。

「支え」という考え方はそれほど突飛な考えでしょうか? 

  • 子供を所有物かペットだと思っている

これも多かったんですが、正直意味がわからなかったです。逆じゃないですかね。子供を事故で失いたくないなら、ずっと自分の手元に置いて、外に出かけさせず、少しでも危ない事は何にもさせなければいいのです。しかし、彼らは子供とはいえ他人であり、彼らの人生を親は100%コントロールできない、危ない事でも彼らがやりたいなら自主性を認めてあげなければならない事もある。それが、子供が死ぬかもしれないリスクを受け入れるということです。リスクはゼロにできないと諦めるから、誰かがいなくなっても残りでお互いを支えるように、数を増やしたいのです。

  • 妻や子供にそんな事を言えるのか?

言えない理由がわかりません。奥さんにははてブのコメントまで見せてますが、意味がわからないと困惑していました。仮に3人目ができたとして、子供たちには、誰かがいなくなっても、みんなで支え合えるように、3人にしたんだと説明すると思います。何か問題があるのでしょうか。誰かが誰かのバックアップというわけではありません。たとえ誰かが不幸にもいなくなっても、残ったメンバーで支え合い、家族としての機能を維持するためには、人数は多い方がいいというシンプルな話です。

総合すると、こういった感情的な嫌悪感によるコメントが多かったように思います。これらを感情論で価値がないと切り捨てるのは簡単ですが、なぜそういった感情が生まれるのかを考えてみましょう。

子供が大事で一人一人はかけがえのないものであるということと、仮に子供に不幸があった場合でも、他の子供がいてくれた方が心強いという事は排反するものではないのに、そういう観点にそもそも抵抗があるようです。

こういった感情的反発の背景に、子供の死すら想定して具体的に対処しようとする発想そのものが、子供の死を何とも思ってない、辛いと思っていないサイコパスだという発想があるように思います。逆です。むしろ人一倍恐怖があるからこそ対策を考えようとするのです。

子供に何もなく無事に大きくなりますようにと祈っても結果は何も変わりません。最大限取れる対策は取って、それでもどうしても残ってしまう固有のリスクについては受け入れざるを得ません。そうすると起きた時のダメージを軽減する事を考えるのが、合理的な思考になります。

そんな悲惨な事態を想定する事が悪であるという発想は、かえって悲惨な事態を呼び込んでしまう。これをきっかけとして、リスク管理とは何かについて考えてみてもよろしいかと思われます。

田端氏の「子供が死ぬのは仕方ない」発言は、親の心情としてはわかる話

 言い方がすごく悪いな~と思いますが、子供を育てている人間としては、子供が事件や事故に巻き込まれる、何らかの事情で命を落とす、障害が残るという可能性は、恐怖以外の何物でもありません。もし子供が何かで命を落とすなら、躊躇なく自分の命を持っていてほしいです。それは、自己犠牲の精神ではなく、子供の死という辛すぎる事象を乗り越えないといけない自分が可哀そうすぎるというエゴイズムからです。そんな悲しみに襲われるぐらいなら死んだほうがいい。

しかし、現実的にそれは難しいので、できるだけ子供が命を落とすリスクを減らすしかない。僕は去年家を買ったのですが、最寄の小学校は家から歩いて3分程度です。家を買うにあたって、色々候補があったのですが、家から小学校までの道で大きな幹線道路を通らないといけない家は、奥さんの手により候補から外されてしまいました。登下校中に何かあってはいけないからです。

でかけるときは住所や氏名、電話番号を記載したカードを子供に持たせています。奥さんは近隣の不審者情報にも目を光らせていて、子供に声をかけた不審者などがいれば直ちに僕にシェアされます。しかしやれる事はやっても、極端な話、子供に隕石が落ちてきたらどうしようもないわけです。どこかで子供は、自分より先に死ぬかもしれないという事実を受け入れて生きていくしかないと思います。

僕は今子供が2人いますが、本当は3人ほしくて奥さんにお願いしていますが、産むのがしんどいから嫌だと断られています。3人ほしい理由は、今いるかわいくて仕方がない2人が、僕より先に死んでしまうかもしれないというエゴイズムからです。

いなくなるリスクがゼロにならないなら、子供は多い方がいい

2人→1人 or 0人より、1人でも多い方が、残された子供のために頑張ろうと思えるかもしれません。そりゃひとりひとりは言われるまでもなく、かけがえのない存在で、死んだら替えがききません。そんな事はわかっていますが、それでも多い方が恐怖感が和らぐだろうと推測しています。

リスクヘッジという言い方は最悪ですが、気持ちはわかりますし、どこかで子供が死ぬかもしれないという事実を受け入れて、教育方針を決めるのも親の役割だと思います。(でないと子供を家に閉じ込めて出さないのが最適という事になってしまいます)

過労死について

ついでに過労死についても、基本的には労使関係のパワーバランスから一義的には会社が悪いと思いますし、自己責任論は違いますが、それでも「ほんまにかわいそうになぁ、でも死ぬのはアホやで」というスタンスは取った方がいいと思っています。100%会社が悪い、亡くなった人は被害者で本当に気の毒であるというのは確かにそうですが、でも死んだらあかんやん、生きてこそやんというのが、基本的なスタンスとしてあるべきだと思います。

そうでないと、仕事で追い詰められた人の中には、ヒロイックな被害者として同情してもらいたいという誘惑に耐えかねて安易な道を選択してしまう人がいるかもしれません。そこで、でも死んだらアホやんと最後に引き返させるためには、普段から、周りが言い続けなければならないと思います。

松本人志さんが、いじめで死ぬ中学生について同じことを書いていましたが、せっかく学生時代を生き抜いた人が、社会で死を選ぶのはもったいないし、やっぱりいくら辛くても死んだらあかんやんというスタンスは保持したいと思っています。

(追記)

追加記事を書きましたー。

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